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白木屋VS越後屋

日本のデパートの元祖ともいえる呉服問屋が江戸の街に開業したのは江戸時代前半。そのなかでも白木屋と越後屋は、ほぼ同時期に京都の呉服問屋が江戸に進出。デパートの草分け的存在として(白木屋は白木屋デパートとなり、のちに東急百貨店と合併。越後屋は三越デパートに)、明治、大正、昭和の時代を生き抜いてきました。はたして、この呉服屋同士の対決やいかに?

その1元祖対決

京都の小間物・呉服問屋として名が知られていた白木屋が、江戸の日本橋通り3丁目に進出してきたのは寛文2年(1662)のこと。創業者は大村彦太郎といい、元々は材木商でしたが、キセルなどを扱う小間物問屋を開業してから呉服や木綿も扱うようになり、徐々に商売を拡大。そして、ついに江戸に支店を開いたのです。
一方の越後屋は、白木屋から遅れること11年後の延宝元年(1673)、江戸本町1丁目(現在の日本銀行・新館のあたり)にオープンしました。創業者は三井高利。伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の高利は、金融業、米商を営んだあと、京都で呉服店を開業。それと同時に江戸でも越後屋を開いたのです。
わずか11年の差とはいえ、元祖対決ということでは、やはり先に江戸に進出した白木屋に軍配があがりそう。

というわけでこの勝負、タッチの差で白木屋の勝ち!


○白木屋 越後屋●




その2発展対決

江戸に幕府ができると、上方の商人が続々と江戸に進出してきました。そこで、幕府は江戸・京都・大坂(現在の大阪)を結ぶ町飛脚の営業を許可。江戸〜大坂間を4〜5日で結び、主にお酒や呉服などが江戸に運ばれてきました。白木屋も越後屋もこの飛脚を使って、京都の本店が仕入れた呉服などを江戸に運んでいたのでしょう。
さて、白木屋が開店したばかりのとき、京都の洗練された呉服が江戸っ子たちの人気を呼び、すぐに繁盛しはじめました。しかし、後発の越後屋も負けてはいられません。さらに画期的な商売で事業を拡大していきました。それが「現銀(金)掛け値なし」という売り方でした。現金売りのみの販売で、その代わりに安値で売るというこの方法のおかげで店は大繁盛し、すぐに2号店も開店しました。あまりの繁盛ぶりに、他の同業者から妬まれ、嫌がらせや営業妨害などもされたほどです。
越後屋の発展はそれだけにとどまりませんでした。高利は店舗を隣町の駿河町に移転した際、両替店も開業しました。今の銀行の元祖ともいえるこの三井両替店は、幕府の金銀御用達としての地位も得て、さらに発展していきました。

というわけで、のちの発展ぶりについては、越後屋の圧勝!


●白木屋 越後屋○



判定

デパートとしては、明治時代に入ってからは服装の洋風化の波に乗った白木屋のほうが繁盛したようですが、越後屋のほうは、のちの三井銀行、三井財閥、そして戦後の三井グループと、デパートの枠にとどまらない発展を遂げました。というわけで、この対決は後から始めた


越後屋の逆転勝ち!

監修: 江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
 
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