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祭りで繋がる「江戸の粋」

第4回 八王子市 山下泰司さん

江戸天下祭等、お祭りで繋がる地域の人々の祭りに対する熱い思いと千代田区との関わりなどを語ってもらいます。第4回目は江戸天下祭にも参加いただいた八王子市の山下泰司(やました やすじ) さんにお願いしました。

豪華な彫刻を施した山車は動く芸術品
-八王子まつり(8月4日・5日・6日)-

江戸時代から続く市街地の氏子を中心とする山車祭りは、八幡八雲神社の祭礼を「下の祭り」、多賀神社の祭礼を「上の祭り」として親しまれ、関東一円に名声を博しておりました。昭和41年以降現在の八王子祭に山車が参加するように成り、1日目は「宵宮・よいみや」、山車小屋から山車を町内に運び飾り置かれ、夕方からは居囃子が行われ夜遅くまで囃子が演奏されます。2日目は、「町内廻り」山車はお宮参りを行ない、町内を曳き廻し、夜には各町内、市街地に曳き出されます。3日目は、「山車巡行」甲州街道を舞台に両神社本社神輿の勇壮な渡御山車の巡行・曳き廻しが行われ夕方からは、ぶっつけ・辻合わせ(山車同士が向い合い囃子の競演)が行われ、祭りの最高潮を迎えます。

八王子の山車祭りの歴史 (山車、屋台の形態の変遷)

八王子の山車祭りは江戸寛政~文政年間頃、祭り屋台、山車が創建されたと思われます。文政二年には八幡町旧二丁目山車人形、諫古鳥が製作されていることから見ても推測が出来ます。明治二十五年「東京朝日新聞」の記事に『八王子山車 此程武州八王子横山町より日本橋区本石町二丁目の山車師原舟月方へ注文になりし山車は神武天皇の立像高さ六尺餘にて人形だけの代価百六十円なりといへば総体の費用は殆んど三千円餘ならんと』この記事から知る事が出来るように、八王子型(一本柱構造)のみならず江戸型(欄間仕立てせり出し構造)山車も建造され八幡八雲神社'下の祭り、に曳き出され八王子型、江戸型山車の巡行、ぶっつけ(囃子の競演)が行われ江戸勝りの山車祭りが見られたのではないかと思われます。八幡八雲神社、多賀神社、両神社合わせて二十数台に及ぶ人形山車は、その後明治三十年の八王子の大火、昭和二十年八月の戦禍に遭い多くを焼失し、昭和四十一年から八王子まつりとして実施され、昭和四十三年以降各町内の山車が正式に参加するようになりました。

江戸天下祭は祭り文化の発信地

将軍様の御上覧仰ぐ天下祭、一番諫古鳥(文政二年)江戸工芸の粋を駆使した山車飾り、千代田区よりお招きを受け、江戸開府400年記念には丸ビルに展示させて頂きました。翌年は江戸天下祭を知る上で、貴重な資料(江戸時代に描かれた神田、山王祭りの錦絵、明治時代の山車絵葉書)を展示しました。昨年は上八日町の素盞嗚尊の山車(明治十六年、三代法橋原舟月作)が日比谷公園、丸の内仲通り、皇居前と曳き回し、熊谷直実公の山車(熊谷市)と揃い曳き、弁財天の山車(石岡市)との囃子の競演、江戸天下祭ならではの巡行絵巻を繰り広げられ、日本全国の皆様に知って頂く事ができ、また高い評価受けた事は大変意義あることだと思います。これから先も優れた工芸品、祭り文化の発信地として、伝統文化交流の場所として、魅力ある江戸天下祭の伸展を祈願し、八王子市各町会共々、参加協力していきたいと思います。

(2006.6.27 山下泰司記)

天下祭の八王子の山車

丸の内仲通りを颯爽と行く八王子市上八日町の山車

八王子の山車祭り

ぶっつけ(囃子の叩きあい)でお祭りも最高潮に!

江戸天下祭に参加する山下氏

江戸天下祭に参加する山下氏