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[番外編] 畠山記念館

2006年11月18日

前回、高輪の「食と暮らしの小さな博物館」について書きましたが、すぐ隣の白金台に「畠山記念館」があります。「企業・産業PR施設」とは言えないかも知れませんが、素晴らしいところなので「食と暮らしの小さな博物館」に行った折には、立寄ってみては…ということでご紹介します。

畠山記念館は荏原製作所の創立者である畠山一清(1881~1971)の美術品コレクションを展示する施設です。実業家として大成した後、「茶の湯」に凝る…というパターンはよくありますが、書画・陶磁器・能装束など日本並びに中国の美術品から成る畠山コレクションも、やはり茶道具が中心となっています。因みに私が行った時は「明代陶磁と能装束」という展観でした。記念館の建物自体もポンプ技術者であった畠山一清による設計で、かつての畠山邸「般若苑」の庭園であった緑の中に静まっています。

「般若苑」…と聞くと、三島由紀夫ファンなら「宴のあと」を連想するかもしれません。日本初の「プライバシー裁判」といわれた「宴のあと」事件の舞台となった高級料亭「般若苑」は畠山記念館と隣接しています。この土地は江戸時代は薩摩藩島津家の別邸であったようですが、維新後、寺島宗則伯爵邸となり昭和初年、畠山が取得しました。畠山はこの私邸に奈良般若寺の客殿を移築しましたが、この旧般若寺客殿を中心としたエリアは、その後、人手に渡り高級料亭「般若苑」となったようです。

「宴のあと」では、「料亭雪後庵」の女将は夫である元外務大臣の都知事選挙費用調達ために料亭を抵当に入れます。このような事件があった後も、モデルとなった「般若苑」は営業し続けていたと記憶しますが、久しぶりに「畠山記念館」を訪れますと、隣接する般若苑は跡形もなく夏草の茂る空地になっていました。

「畠山記念館」の受付のお嬢さんに、「般若苑はどうしたのですか。」と聞くと、「一部は京都に移築したと聞いていますが、なにも残っていません、去年の事です。」とのこと。旧般若寺客殿は、奈良般若寺に帰ることなく、何処かへ移ったのかもしれません。