アド・ミュージアム東京
広告や展示制作の世界ではよく「デンパク」という言葉を耳にします。「電通・博報堂」の意味で、この2社は日本の広告業界を代表する存在です。「ちよだプラットフォームスクェア」の ご近所に博報堂旧本社ビル(歌舞伎座や明治生命館で有名な岡田信一郎(1883~1932)の設計による昭和初期の建築です)があることもあって個人的には博報堂の方に親近感を覚えたりしますが、日本の広告業界は極めて「ガリバー寡占」的な世界のようで、1位の電通の売上高は2位の博報堂の2倍以上の規模です。
こんなことを考えながら「アド・ミュージアム東京」というところに行ってきました。この博物館を運営しているのは「吉田秀雄記念事業財団」、場所は新橋の「カレッタ汐留」です。お気付きのことと思いますが、「カレッタ汐留」の隣は電通本社ビル、「吉田秀雄」という人は「広告の鬼」と異名をとった電通元社長です。
エントランスから進むといきなり企画展会場になっています。私が行った時は「台湾広告展」。台湾の広告コンテスト(時報広告金像賞)の受賞作品(TVCM・グラフィック)が展示されています。斬新さ・アピールの強さ・・・何れにおいても日頃、目にする日本の広告に引けをとりません。
感心しながら台湾の現代広告を見ていると、またまた「いきなり」常設展示会場に進んでしまいます。「展示制作」のプロである電通の関連施設としては、少し動線や誘導に無理
があるように感じました(素人の印象ですが)。
常設展示は江戸時代の看板・錦絵から始まり、明治時代の新聞広告や有名な「岩谷・村井の煙草宣伝競争」、大正時代のモダニズム広告、昭和時代(戦前)の戦意高揚宣伝・・・そして戦後から現代に至る大衆消費社会の広告と、広告の歴史が時系列的に展示されています。展示品は広い範囲にわたっており、数量的にも豊富で、「さすがに電通のコレクション」です。しかし、こんなに豊富なコレクションを展示するには展示スペースがもう少し欲しいように思えます。
常設展示を見ていてこんな仮説を考えました。
・「広告代理店」というものは「広告主とマス媒体を結ぶ仕事」のようで、マス媒体がな かった江戸時代には存在しなかった。
・明治時代になり、新聞が発行されるようになると「新聞広告」を対象として「広告代理 店」が始まった。
・戦後、ラジオ・テレビという電波メディアが始まりかつ急膨張したが、この時「ラジオ CM」や「TVCM」をいち早く「取扱い商品」化した「広告代理店」が・・・おそらく「デンパ ク」・・・が今日の主導的地位を築いた。
しかし、ひとつ疑問があります。
現在、インターネットを中心とした電子メディアが普及し、かつ急膨張しつつありますが、今後の広告代理店は従来通り「デンパク」なのでしょうか。








