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[番外編] 講談社野間記念館

2007年1月17日

前回、凸版小石川ビル内「印刷博物館」を取り上げた折、「飯田橋駅から目白通りを椿山荘方向へ10分程歩いたあたり…」と書きましたが、足を伸ばして目白通りを更に行きますと、江戸川橋の交差点で音羽通りとぶつかります。

「音羽」から連想するものは・・・。「音羽御殿(鳩山会館)」という人もいるかもしれませんが、出版関係の方でしたほぼ例外なく「講談社」でしょう。・・という訳で、「企業・産業PR施設」とは言えないかも知れませんが、「印刷博物館」に行った折に立寄ってみては…ということで「講談社野間記念館」をご紹介します。

講談社の創業者である野間清治(1878~1938)は、「雑誌王」または「出版王」と呼ばれた実業家ですが、その一方、絵画・彫刻・陶磁器・刀剣・・・等広範な分野の美術品から構成された「野間コレクション」を残した美術収集家でもありました。講談社野間記念館はこの「野間コレクション」に加えて、講談社がその出版事業を通じて所有・保管するに至った絵本原画・挿絵原画・原稿・ポスター・・・等も収蔵しています。しかし、展観スペースは、こじんまりとした展示室が四つと限られていますので、季節毎に展示替えされるようです。因みに私が行った時は、秋季展「花と鳥~近代日本の花鳥画」並びに「名作の名脇役~村上豊の挿絵原画」という展観でした。「花鳥画」は野間コレクション、「村上豊の挿絵原画」は講談社の出版事業遺産ということのようです。

言うまでも無いことですが、講談社野間記念館は野間清治邸跡に建っています。しかし、どうやら元々の「野間清治邸」は現「講談社野間記念館」よりずっと大きなものだったようです。隣接する椿山荘(旧山縣有朋邸)の庭園内におかれた説明パネルに「園地の水源はお隣の野間邸内の湧き水・・・」である旨が記されていますが、これは現在、「蕉雨園」にある水源のことと思われます。

現在、野間記念館に隣接して静まりかえっている「蕉雨園」は旧田中光顕伯爵邸ですが、昭和初年、野間清治によって購入されています。一方、神田川へと下っていく「胸突坂」を挟んでお向かいには「永青文庫(細川家伝来品を収蔵する博物館~旧肥後藩下屋敷)」があります。明治大正期の目白台には、当時のセレブが集まっていたようです。