物流博物館
幕末の日本を訪れて「日本人は車輪というものを知らない」という感想を残した外国人がいます。TV時代劇等を見ていても街道風景の中で馬(牛)車を見ることはありませんし、「今日もお江戸は日本晴れですね、ご隠居様。」という台詞と共に引いたカメラが移す日本橋の賑わいも、(人間が牽いたり押したりする大八車を除けば)歩行者ばかりです。幕藩制の基本は各藩の閉鎖的自給自足にありますから、人もモノも(少なくとも陸上については)動きまわる必要がないのでしょう。少なくとも、幕府は陸上輸送を拡大促進しようとはしていません。原則的に馬車は禁止ですし、主要河川に架橋することも許可しません。
荷物を送る場合も「問屋場」から次の「問屋場」へ運ぶと、馬も人足も交替する決まりでした。「問屋場」組織は物資輸送を独占しつつ、各「問屋場」は需要を分け合っていたともいえます。ところが、明治になって鉄道が登場するとこうはいきません。「問屋場」毎に成立していた運送業組織は発着駅における鉄道貨物取扱い業(小運送業者)へと事業の再構築(リストラ)が行なわれていきます。この頃、国鉄の貨物を取扱う小運送業者のマークとして使われたのが「丸に通の字(マルツウ)」…現在の日通マーク…だそうです。
ということで、日本通運㈱の運送関係資料が展示されている「物流博物館」へ行ってきました。高輪のプリンスホテルの近くにあります。こじんまりとした施設で1階が「物流の歴史」フロア、地価1階が「現代の物流」フロアになっています。
飛脚や馬方の展示も興味深いものがありますが、印象的だったのは貨物の容器や包装です。段ボールが普及したのは昭和30年代位なのですね。それ以前の貨物駅の写真を見ると木箱や俵のようなもので一杯です。私も微かに記憶しています。みかんはみかん箱に入っていましたし、りんごはりんご箱に詰まっていました。時には茸や筍が竹篭に入って届くこともあったようです。今では、段ボールなしの「荷造り」というものは想像することも困難です。
「日通」はその沿革からいっても鉄道輸送関連では圧倒的強みをもっているようですが、現代の主役はトラック輸送です。「現代の物流」フロアに「宅急便取扱い高ランキング表」が展示されていましたが、1位:大和(黒猫)、2位:佐川(飛脚)、3位:日通(ペリカン)でした。








