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千代田day's

祭りで繋がる江戸の粋

江戸天下祭等、お祭りで繋がる地域の人々の祭りに対する熱い思いと千代田区との関わりなどを語ってもらいます。 第11回目は江戸天下祭にも参加いただいた日本橋小舟町の黒川治良さんにお願いしました。



江戸で最も古い神輿の祭り…天王祭

「江戸三天王」「神田三天王」また「祇園三社」ともいわれた天王祭。神田明神境内に祀られた天王三社(現、江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社)の祭礼は、山王日枝神社・神田明神と同じ氏子の町々が、天下祭に負けずに三日三晩天王神輿を担いで、氏子の町々を担ぎ通した町人の神輿祭りで、山王祭、神田祭と並び江戸の三大祭の一つです。三天王のうち、今でも天王祭を斎行しているのは小舟町天王祭だけになりました。

小舟町は伝統を継承し、日本橋小舟町に昔ながらの仮屋(御旅所)をしつらえて、大神輿・獅子頭・四神旗・太鼓山車等祭器総てを奉安して、遷座祭(木)神幸祭(金)神輿渡御(金・土)と盛大に執り行われます。また、奉納演芸として御旅所で四神旗にまつわる落語「百川」を披露します。次の祭礼は平成二十一年です。
天下祭は御用祭とも言われ官祭で山車の祭りですが、天王祭は江戸城下の町民自前の神輿祭りです。
江戸期の天王祭の町民の熱狂振りが「江戸名所図会」「東都歳事記」等に詳細に記されており錦絵も多数残されております。

本社神輿宮入
本社神輿宮入
修復された小舟町八雲神社(神田明神境内)
修復された小舟町八雲神社(神田明神境内)

小舟町八雲神社(天王祭・三の宮)の縁起と祭礼

神田明神の境内に祀られている八雲神社は、大宝二年(702)、局沢(現在の皇居吹上御苑)に洲崎明神として起立、元和二年(1616)、徳川二代将軍秀忠公の命により神田明神の地主神として素戔鳴命(牛頭天王)を祀る天王社として三殿に分けて造営され、
一の宮 南伝馬町持天王(祭神・素戔鳴命)
二の宮 大伝馬町持天王(祭神・五男三女)
三の宮 小伝馬町持天王(祭神・奇稲田姫) ・・・後に小舟町持になる。
となりました。

牛頭天王の祭礼は徳川氏が江戸に入府したころまでは素朴な祭りであったようで、文献等残されていないようです。「撰要永久録」に慶長十八年(1613)、南伝馬町の名主高野新右衛門に供奉された天王神輿が江戸城に入ると記され、天王祭の始りで、江戸最古の大祭礼であり、天下祭の発生より先がけて行われました。
「撰要集」に寛文六年(1616)、三の宮の持が小伝馬町より小舟町に移り小舟町天王社となると記されており、小舟町天王社の始まりです。
以後、小舟町が宮元となり小舟町天王祭を斎行するようになりました。明治維新以後小舟町八雲神社と改称されました。 素戔鳴命は牛頭天王であり祗園精舎の守護神ですので、天王祭は「祗園会」でもあります。三殿に分けて祀られたのは、京都の祗園さんと言われる八坂神社を範としたのでしょう。

天下祭を夢見て

地方都市の人と産物が江戸を発展させ、江戸で華開いた祭礼文化が地方都市で継承された歴史を想い、神田明神、日枝山王、牛頭天王の産子の仲間で、天下祭の再現を東京(氏子の町)でと夢見て十年。
千代田区のお骨折りで、日比谷公園に、丸ビルにと、天下祭、天王祭所縁の地方都市に残る山車の里帰りが実現、人と人との交流も盛んになり、新しい発見もありました。
地方都市で祭りに携わる人々の情熱に感動し、勉強する事も多々ありました。 天下祭の再現に尽力くださった千代田区に感謝するとともに、わが町小舟町の天王祭を披露する機会をいただきお礼を申し上げます。

(2007.4.27 黒川治良 記)

  歌川重延(1867慶應三年)画 小舟町天王御祭禮
歌川重延(1867慶應三年)画 
小舟町天王御祭禮

浅草寺奉納提灯の前で家族で記念撮影
浅草寺奉納提灯の前で家族で記念撮影


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