■ 成田祇園祭の歴史
祇園祭は、成田山新勝寺のご本尊「不動明王」の本地仏である「奥の院大日如来」の祭礼「成田山祇園会(ぎおんえ)」に併せて開催されてきました。
古くは大日如来のご尊像を捧持(ぼうじ※1)して各町内を渡御(とぎょ※2)しましたが、今日では大日如来をご尊体とした御輿が渡御し、併せて成田山を含む9町内10台の山車と屋台が成田市内をくまなく巡行します。
「成田祇園会」は享保6年(1721年)には行われており、約300年の歴史があります。当初は成田山で管理する「湯殿山権現社」を中心とした祭礼で氏子は往時33ヶ村にも及びましたが、時代の変遷とともに本地仏である成田山「奥の院御本尊大日如来」の祭礼へと移り、現在に至っています。
※1 棒持(ぼうじ):ささげ持つこと。
※2 渡御(とぎょ):祭礼の際、神輿(みこし)がお出ましすること。
■ 千代田区へ里帰り
千葉県成田市は、成田詣を通して古くは江戸時代より江戸と交流があり、成田山新勝寺の門前町として栄えてきました。門前町の中心である仲之町に江戸の華・江戸囃子(えどばやし)と鉾山車(ほこだし)が登場したのは、江戸文化との密接な係わり合いを物語るものです。
山車の製作は明治33年。日清戦争が終り日露戦争が始まる前の、日露関係が急速に悪化しつつあった時代に、町民が神国日本創建の古事を偲んで岩座に神武天皇を奉安し、飛び来たる金色の鶏の御光に国家の安泰と万民の幸せを、大日如来・不動明王に祈願する為に造られました。
山車の作者は、神田黒門町の宮惣(みやそう)として古くから名の知られている村田惣三郎こと三代目・村田正親、そして神田田代町に店を構えた百雲正・山本鉄之(だし鉄)こと二代目・山本鉄五郎の共作であります。
今秋には千代田区の江戸天下祭に参加し、9月25日から30日の6日間丸ビル1階のマルキューブに展示することなり、念願の里帰りを果たすことが出来ます。
今後とも各地の祭関係者と交流を深め、祭礼文化の伝承に努めて生きたいと思います。
(2007.7. 小田垣利勝 記)
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